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極楽地獄 4

2011/12/12 Mon 23:56

人は死んだらどうなるのか?


上目遣い / iandeth



前回のつづき。

その後、僕はどうなるかというと、現世へ送り帰されます。
輪廻転生の考え方からすれば当然あの世には極楽しかなく、地獄は現世にあるのです。
現世とは死後の世界だったのです!
長過ぎる箸を割いて折って削って、ちょうどいい長さの箸をいくつも作れる僕。
そのうち何膳かを売って地獄でもお金儲けが出来るじゃないか!

僕はまたしても人間として生まれます。
これは、あの世の入口で閻魔大王がどんどこどんどこ亡者を極楽へ送ってしまう為です。
現世へ帰ってきた死者は路傍の石なんかになっていられないのです。
懺悔づいた閻魔大王のおかげで現世は生まれ変わる死者が不足し、動物も草花も多くがその数を減らしています。人間も40年以上少子化が続いているのです。

生きる人間としてものごころがついてみたら、そこは幼稚園。
お弁当の時間。隣の席には身体の小さなおともだち。
長過ぎる箸を割いて折って削って、ちょうどいい長さの箸をいくつも作れる僕。
手に握るフォークはその何膳かを売って儲けたお金で買ったものだ。
隣のおともだちのお弁当のミートボールに狙いをつけます。
ケイコせんせいに見つかってはいけない。彼女が後ろ姿を見せるタイミングを待つ。
心臓が高鳴ります。
タイミングを計り、身体の小さなおともだちのミートボールを見事横取り!



bento / saotin



反対側には身体の大きなおともだち。首筋に赤黒い雪だるまのような痣。
もしかして僕のおかずを狙ってるのでは? 
5歳にして抱える業か前世の因果か? 理由もなく湧いてくる猜疑心と不安。
僕は自分の弁当に覆いかぶさって、盗られる前に全部食べてしまおうと口に詰め込みます。
今度はケイコせんせいがこっちを見てくれないかと期待し、ときおり顔を上げて前方を確認。
身体の大きなおともだちがおかしな行動を起こしやしないかと心配で右も確認。
左の小さなおともだちのミートボールはまだ残っていたかな?
それにしてもママの玉子焼きが美味しい。


おわり


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極楽地獄 3

2011/12/11 Sun 12:51

人は死んだらどうなるのか? ということを考えました。
これは僕の願望がかなり色濃く出ちゃった「死後の世界の予想」です。
冒頭から何のことか分からない人は、12/5の記事から読み始めるか諦めるかしてください。
面倒くさくてアレですが…よろしくおねがいします。




花見 上野公園. Hanami, Ueno park. Tokyo Japan 東京 日本 / aginorz



「私」は気がつきます。
極楽はいつまで経っても春だった━━と。
満開の桜は、儚げに散り続けて幾年月。昼と夜の区別もない。
おそらく時間の流れというもいうものがないのだろう。
山海の珍味は喰っても喰っても減らず、
私が秘かに命名した極楽大吟醸も絶対になくならない。
「おいしいですね」
隣の亡者が私に言う。
「いやあ、おいしいですね」
「桜がきれいですね」
極楽の住人はみな、口々に桜を賞賛し続けます。
生前日本人であった私は、何度も繰り返したこんな会話も「きれいですね」と答えてしまう。
本当はもう飽きている。満開の桜も山海の珍味も何杯も飲んだ名酒も、もう十分だ。見たくもない。
喰ったり飲んだり誉めたりなんてまっぴらご免だ。

白い花びらがぴらぴらと飛ばされてきて、黒漆の椀の酒にいやらしく浮かんだとき━━。
我慢の限界。
誰かひとりぐらい別の話はできないのか。
他人の悪口、芸能人やスポーツ選手・大企業のスキャンダルに下世話な下ネタ。できないのならば私がしてやろうか。
「これが旨いあれが美味しい」「桜が美しい」「幸せですね」
なんて話で何年花見しているんだ!
私の堪忍袋がぱんぱんに膨らむと、向かいに座る死人が例の1メートル箸で河豚刺しを2~3枚つまみ、またも私の口へねじ込む! 実に親切だ!
口の中のものをぐっと飲み込み、自分のとっても長い箸をひと組掴んで私は片膝を立てる。間髪入れず空いている方の手で目の前の懸盤を払い除ける。
おもちゃのような音を立てて皿や椀や懸盤、銚子などが毛氈の内外に弾ける。
極楽中の死者がこちらを振り向く。
花びらは舞っている。
しかし「私」はそんなことを感じる間もなく腕を振り上げ、とっても長い箸を向かいの死者の首筋に差し込むのです。
二本のとっても長い箸は首筋から胸に向かって斜めに20センチほど刺さって、「私」の握りこぶしのところでやっと止まります。

刺された死者は目を丸く開いた後、その目をそっと閉じます。死んだのです。
まわりの亡者たちは、いかにも驚いたという表情で目を剥いた後は「困ったやつだ」とでも言いたいような、鼻白んだような顔で「私」を見ています。
それを頬やこめかみで感じながら、勢い良くとっても長い箸を抜くのです。噴水のように血潮が飛ぶかもしれないという期待。

抜いてみると傷口は数字の8か雪だるまのような形。
そして期待に反して、どろっとしたどす黒い血が一筋流れるだけ。
しかしそれは死装束を、襟口から胸まで真っ赤に染めていきます。
どうだ! 血は吹き出なかったけどこれほどショッキングな出来事はないだろう。私の行動について何か言ってみろ前たち!
箸を引き抜いて血が出るのを確認すると、「私」はしっかと立ち上がります。極楽の住人たちの反応が見たいのだけれど、目にするのは入口から白い坂を登ってくる四人の男。
その男たちは無言で坂を駆け上がると二手に分かれ、その一方が「私」の背中につきます。
そして二人で左右から肩を掴むのです。
もう一方の二人は、「私」に刺された死者の様子を伺います。
様子といっても座ったまま首から血を流して目を閉じているというだけなんだけど。
そして、僕はその二人の男に引きずられて極楽を後にします。
退屈極まる、地獄のような場所。


つづく


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極楽地獄 2

2011/12/10 Sat 18:28

人は死んだらどうなるのか? ということを考えました。
これは僕の願望がかなり色濃く出ちゃった「死後の世界の予想」です。
冒頭から何のことか分からない人は、12/5の記事から読み始めるか諦めるかしてください。
面倒くさくてアレですが…よろしくおねがいします。





2775216898_2790732d41.jpg


極楽で花見をしている死人たちは、何だか皆よく似ています。
それぞれ違う顔をしているのだけど、そのひとつひとつは較べることが出来ず、男女の区別もつきません。
年齢も子供ではないと分かるだけで、詳しいところはまったく見当がつきません。
というより、そんなことは気に止めないのです。
何しろ「私」は極楽へ来られて、しあわせ一杯だから。そんな状態だから、花見客が本当に他人なのか知り合いなのか、分かるはずもないのです。

隣の死人がこちらに顔を向けると、「私」は会釈をします。
「今来られたところですか? 長旅ご苦労様でした。お腹空いたでしょう。どうぞ」
とっても感じのいいその人は長さ1メートルはあろうかという箸を上手に使い、大皿から刺身を一切れ取ると私の口へねじ込んできます。
極楽の人たちは親切です。
死んでからこの方空腹を感じたことはなかった私だけれど、刺身はこの世のものとは思えないほど美味しい。
「私」はここでも極楽の素晴らしさを思い知ります。
「あのここは、極楽ですか?」
分かっているけれど尋ねてみます。
「ええ極楽ですよ。極楽、天国、百万黄土」
やっぱりそうか。私は極楽へやってきたのだ。すばらしい。しかも桜の季節。なんてラッキーなんだろう。
風もないのに花びらがはらはらと舞っている。山海の珍味。旨い酒。
極楽大吟醸という言葉が脳裏に浮かぶ。
自分が誰なのかという疑問は残ったままだけれど、ほぼ100点満点。満足。



Gates of Heaven / neil cummings


さて、ここで閻魔大王について少し説明をしていきたいと思います。
インドにルーツを持つ冥界の王・閻魔大王は不安に苛まれています。
現世の時間であらわせば、およそ40年に及ぶ苦悩。
亡者の人生に善悪の裁きを下し、善と判断すれば極楽行きとし、悪ならば地獄へ送ることが閻魔大王の仕事だと現世では言われているけれど、それは半分正解で、半分間違えです。
善人の極楽行きはその通りですが、彼は悪人を現世へ送り返してしまうのです。
しかし現世へ送り返した者が再び人間に生まれるか犬畜生になるか、
はたまた路傍の石となるかは彼の与り知らぬところなのです。
あの世に地獄はなかった!


閻魔大王は現世で何千年もの時が過ぎる間、完璧に仕事をこなしてきました。
あの世に時間はないのです。
亡者の半分以上を悪人もしくは修行不足として現世へ強制送還し、立派な者だけを極楽へ送ってきました。
現世に送り返された者の中には強盗殺人等を犯した極悪人もいれば、厳しい修行を積んだ僧侶もいました。
後者のような者は己を律し、正しい生活を送って良いおこないをした死者たちでした。
しかし胸の内は正反対だったり、死後極楽へ行きたいと貪欲に欲していたのです。
そのような偽善的な死人も含めて多くを現世へ帰してきたけれど、今、彼はそれを後悔しているのです。
後者のようなケースは極楽行きにすべきだったのではないか? 
それどころか人を殺めた、嘘を吐いた、盗みを働いた者どもも本当は困った人というだけで、本物の悪人はもっとずっと少なかったのではないか。そうに違いない。
私の裁定は間違えていたのか。間違えていたのだ。
いや、誤った裁定と知りながら死者たちに意地悪をしていたのではないか? 
その者の過去に小さな傷を見つけてはそれを理由に現世行きのハンコを捺していなかったか?
桜咲く極楽へ行くべき人間を、病天災諍い戦争親の心子知らず、コンプレックス飢え熱狂種の保存渦巻く現世へ、地球へ突き落としていた。
それを悔やみ、煩悶し、そしていつか訪れるであろう結末に恐怖しているのです。

彼は自分の死を考えてしまったのです。
何千年もの間、死んだ人間どもを裁いてきたが、自分は死なないのか? 
あの世には時間がないのだから死ぬわけがないと考えた。
しかし、本当にあの世には時間が流れていないのか?流れが極端に遅いだけではないのか? 
だとすれば自分もいずれ死ぬだろう。
そのとき私のおこないはどう裁かれるか? 
面白半分で死人の将来を、人生を決めてきた私に極楽行きなど望むべくもない。
そうして冥界の王は懺悔づき、あるいは慈悲の心に目覚め、今は誰も彼も極楽へ送っているのです。輪転機で刷ってもいいほどに極楽への通行手形を発行しているのです。

つづく

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極楽地獄 1

2011/12/09 Fri 00:29

前回(12月5日)の記事が、結果的にまえがきのようなものになったので、
この記事の前にそっちを読んでもらえると、唐突感出し抜け感とかは減ると思います。
これから何回かの連載になる予定です。

9015074.jpg


ひとは死んだらどうなるのか?
そんなことを考えてみました。

僕が死んだら、やっぱり閻魔大王の裁きを受けます。そして仮に極楽へ送られたなら━━。
そこはどんな場所でしょうか?

僕が行く時期、極楽はちょうど春真っ盛りなのです。
入口から極楽を眺めると、二・三〇〇メートルくらい先に桜の木が見えます。幹の太い古木が極楽いっぱいに枝を広げ、そこに花をつけている。枝の先から真っ白な地面へ向かって花びらがくるくると舞っている。それ以外は何もありません。
なんて立派な木だろう。満開の花の美しさが目に染みる。

極楽とは一本の桜の木だったんだ!

そこで唐突にひとつの疑問が胸に満ちてきます。私はいったい誰だったかしらん? 
僕は、人は、日本人は死して閻魔様の裁きを受け極楽の入口に立つと、この疑問を胸に抱きます。誰もが閻魔様の執務室までは憶えている。しかし極楽へ来てみると自分が何者なのか、男か女か、歳はいくつなのか、そういうことが何一つ思い出せなくなるのです。
死ぬ前の記憶もなくします。しかしひとつだけ、生前日本人であったということだけは憶えているのです。
なぜそれだけは憶えているのか? それ以外のことはなぜ急にすべて忘れてしまったのか? どうして何も思い出せないのか? 
「僕」が何者か分からなくなり、「私」となって己の存在について感じる無数の疑問。
でも、まあいいか。極楽は春で、桜が満開なのだから。
とかなんとか言います。

さて、その大桜の下では人々がお花見をしているのが確認できます。とてもきれいに咲いているだから、誰だって花見客になってしまうというもの。
「私」となった僕は何もない真っ白な上り坂を進んで近づいて行きます。
なぜ近づくのかと聞かれたら、自分でもその理由は分からないのです。
あそこへ行ってみようと思ったというほど心が動いたわけでもない。他人に操られるように足を動かしていた、といった具合です。しかしとにかく「私」はゆるい坂を登ってみます。

人は死んだらどうなるのか? それは人それぞれ。でも日本人の多くは大体同じような死後の世界を経験します。
まず、死人としてものごころがついてはじめに目にするものは、行列に並ぶ人の後ろ姿です。
人は死んで目が覚めると行列の最後尾に立っているのです。その列はもちろん閻魔様の執務室へ続いています。
そして閻魔様にお目通り。現世に伝えられる彼の姿は、前世の記憶を持った人やあの世に行ったことのある人が語ったもので、それはとても正確で、そのとてつもない大きさと恐ろしい顔に誰もが縮み上がってしまいます。

そこで現世でのおこないについての質疑応答などがあると覚悟してみるけれど、実際にはありません。閻魔大王は地割れか落雷のような声で死者の名を呼び、行き先を申し渡す。僕はそこで極楽行きを命じられた、ということにしておきます。

極楽には桜の周りを囲うように赤い毛氈が敷かれています。そこにいくつも並ぶ大皿はまるで大輪の花のようです。巨大な舟盛りの大艦隊が一列縦隊。広げられたお重。懸盤の列。
そしてそれを挟むように向かい合って「私」の先輩となる極楽の住人たちが座っています。
死人たちは皆ふっくらとして血色も良く、アルコールの入った者も多いようなのです。
とても幸せそう。確かに極楽だ。
目の前がちょうど一人分空いているので、そこに落ち着きます。
なぜ座ったのかと問われれば、「私」はここでもまた他人に操られるように、としか答えられません。

誰かに操られている人は、そのことに気づかずに全て自分で決めていると思うものなのかもしれません。極楽に行った「私」もそんなことを思うでしょう。しかし実際に操られていたわけではない、まるで操られるかのように何も考えずに座ってしまった、と考えるのです。

僕の頭の中に、極楽の住人を操る超越者は今のところ見当たりません。

つづく

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